客観的な視点を持つことができたらどんなにいいでしょうか。
もし個人的な主観を排除し完全に客観視することができれば、完全に公平な判断をし、不満がない理想的な世界を実現することができるかもしれません。
しかし、「私たち人間が物事を完全に客観的にとらえることは不可能」だと言われています。
この記事では、なぜ物事を客観的にとらえることができないのか、具体例を紹介しながら理由を3つ解説しています。
客観的に物事をとらえることができない理由3つ
客観的に物事をとらえることができない主な理由は下記の3つです。
- 主観的な視点や経験、感情の影響を受けるから
- 科学的な検証も主観を排除することができないから
- 情報の選択や解釈には常にバイアスが介入するから
それぞれ詳しく紹介していきます。
1.主観的な視点や経験、感情の影響を受けるから
人間はそれぞれ異なる経験をしています。
生まれ育った環境、教育、出会う人も違うのです。
つまり、それは誰もが異なる視点を持つということです。
また、人間が物事に対して持つ感情も異なります。
それゆえ、主観性を完全に排除することは不可能です。
例えば、この文章も一見すると客観的に見えるかもしれませんが、主観的なものです。
2.科学的な検証も主観を排除することができないから
膨大なデータに基づく科学的な検証も完全に主観を排除することは困難です。
例えば、マウス1,000匹で実験した際、一部のマウスにある共通点が導き出されたとします。
しかし、それが単なる偶然である可能性を否定することはできません。
理由としては、サンプル数が1,000匹が十分かどうかは主観的なものでしかなく、完全に因果関係を証明することはできないからです。
そして、多くの場合、共通点には当てはまらない例外が存在します。
DNAの突然変異をイメージすると分かりやすいかもしれません。
近年の科学研究では、サンプル数を増やすことであらゆる謎を解き明かそうとしていますが、主観を排除することができないため、完全に解明することは困難です。
3.情報の選択や解釈には常にバイアスが介入するから
情報を収集すること、情報を解釈することは、常にバイアスが介入します。
バイアス(Bias)は偏見や思い込みを意味する英語。
人間は自分というフィルターを通してしか世界を認知することができません。
つまり、自分と他者では選択する情報もフィルターも違うということです。
そして、人間は物事を見るとき自分の都合の良いように解釈する傾向があります。
例えば、特定の政治的信念を持つ人は、報道や情報源から自分の意見を支持する証拠を選んで注目し、反対の意見を無視することがあります。
メタ認知で客観的に物事をとらえることはできる?
メタ認知で完全に客観的に物事をとらえることは難しいと考えられています。
なぜなら、自分を客観的にとらえるのも結局のところ自分であるため。完全にとらえることはできないといえるからです。
メタ認知とは「高次元、超越した」を意味するメタ(Meta)と認知を組み合わせた心理学用語。自分の認知活動を客観的にとらえること。
アメリカの心理学者ジョン・H・フラベル(John H. Flavell )氏が提唱した。
具体例
例えば、自身の話しているスピードが早いか遅いか、会話相手の表情を見ながら変えるとします。
しかし、仮に相手が困った表情だったとしても、なぜその表情をしているのか、本当のところは分からないでしょう。
相手に理由を聞いたら教えてくれるかもしれませんが、必ずしも自分の想像と一致するわけではありません。本人もなぜそのような表情をしていたか、説明できない可能性すらあります。
何となく話を合わせて「当たっている」と言ってくれることもあるでしょう。
この例から、自分を完全に客観視しながら話すことができないと説明できます。
メタ認知は主観的な作業
確かに、メタ認知の知識をもとに自分の状態を把握し、適切な行動ができているか俯瞰的に自分をとらえようとする試みは重要です。
人によっては、周りから繰り返しフィードバックを得ることで、客観的に自分を見ることができるようになり、自分をコントロールできていると感じる瞬間があるかもしれません。
しかし、物事を完全に客観視することは本質的に無理があるのです。
前述したとおり、結局のところ、メタ認知も主観的な作業だと言えるでしょう。