「多様性を押し付ける」という言葉をインターネット上で時折見かけます。
グローバル化の流れで多様性という言葉が声高に叫ばれるようになり、中には強要されていると感じている方もいるようです。
しかし、なぜこのようなことになったのか疑問に思っている方もいるのではないでしょうか。
今回、多様性を押し付けるとは何か、なぜ強要されていると感じるのか考察しています。
多様性について考えるきっかけになれば幸いです。
多様性を押し付けるとは?
多様性を押し付けるとは、多様性(さまざまな人々がいること)の重要性を主張する人や組織が、他の価値観や文化を持つ人々に多様性を認めさせようとする行為。
多様性を主張する人と当事者の見解が異なる場合があることから、一部の人から問題視されています。
ダイバーシティ(Diversity):さまざまな人種、民族、社会経済的、文化的背景、さまざまなライフスタイル、経験、興味を持つさまざまな人々がいることを意味する英語。
言葉を分解してみるとわかりやすい
多様性とは、色々な種類が存在することを意味する概念。
国語辞典によると、押し付けるは
新明解国語辞典第八版
- 動けないように、力を込めて押す。
- 反発できないほど強引に、こちらの意向を相手に強要する。
- 専らこちらの都合で、相手が望まないものを与える。
を意味する言葉です。
多様性を押し付けるの例文
- 多様性を押し付けるのはやめて欲しい
- 多様性を押し付けられているように感じる
- 多様性を押し付けるという表現に違和感を感じる
なぜ、多様性を押し付けられていると感じるのか
主な理由は以下の3つです。
- 多様性(ダイバーシティ)の定義についての解釈が異なるから
- 多様性を認めろという主張に違和感を感じるから
- 多様性を認めることが既存の価値観や文化を壊すと思い込んでいるから
多様性(ダイバーシティ)の定義についての解釈が異なるから
そもそも定義というのは、コミュニケーションを取るため共通認識を定めるよう行なわれる作業です。
そのため、ダイバーシティという考え方が普及していない日本において、多様性に対する解釈が異なり、押し付けられていると感じる可能性があります。
多様性とは、「人は自分とは違う」という基本的なことを共有する概念であるため、発信者と受け手の間に誤解が生じているのかもしれません。
多様性を認めろという主張に違和感を感じるから
「多様性を認めろ」という主張に違和感を感じる方もいるのではないでしょうか。
SNSなどで多様性に関する主張が繰り返されるのを見て、「またか」と感じてしまうのも無理もありません。
多様性を認めるというのは、基本的には自発的な作業です。
つまり、多様性の意味を理解している人は、他者に「多様性を認めろ」と干渉しません。
一部の目立つ人が多様性についての理解を遅らせている可能性があります。
多様性を認めることが既存の価値観や文化を壊すと思い込んでいるから
前述したとおり、多様性を認めることは、シンプルに他者の存在を受け入れることです。
他者の立場や境遇を想像することで、相手を理解しようとする一種のコミュニケーションです。
何かが失われるわけではありません。
多様性を認めることや尊重することが、直接的に価値観や文化を壊すわけではありません。